開院30周年を迎えるにあたって

2028年7月に書かせていただいたものです。

同じ内容で、HPトップの「HOME(ホームページ)」の最後に掲載しています。

 

 

以下は、あるインタビューの元原稿となったものです。

皆様に院長の「ひととなり」、そして診療に対する考え方を少しでも知ってもらえるのではないかと考えて掲載せていただきます。

開業して30年。

思えば長いような短いような歳月が流れました。

いろいろな患者さんとの出会いがありました。

一つの節目として、いろんな想いを込めて書き認(したため)てみました。

 

はじめに

今回のインタビューに至るきっかけとなった雑誌(ネットで医療機関の情報も配信)のインタビュー記事の中に大学時代の友人が掲載されているのを偶々(たまたま)見つけました。

彼は奇しくも卒業後、私と同じ循環器内科勤務医を経て開業の道へと進んでいます。

そのインタビューの中で

「家族•知人の治療を安心して委ねられる診療所」

「患者さんの話をよく聴くこと。問診で多くの場合診断がつく」

「内科医として専門分野に限らず内科全般を意識する」

「医師は最新医療を勉強して、患者さんには質の高い医療を提供していく」「質の高い病院、そして質の高い勤務医に紹介する」

「ほぼ毎日、『医師なってよかった』と思うくらい、患者さんと話すのが楽しい」

「『大病院に負けない質の高い外来診療』『クリニック特有のきめ細かいケア』を提供したい」•••

 

 

自分の考えとほぼ同じことに驚きました。

他のクラス仲間の記事も見つけましたが、臨床医としての方向性は似たものでした。

大学では特に「医の倫理」も「臨床医としてあるべき姿」も「ヒポクラテスの誓い」も講義で学んでいないのに不思議といえば不思議です。

 

少し追加すると、私は内科一般に限らず全ての診療領域に一定の知識を持って患者さんと接するように心がけています。

何故なら、患者さんの病気は一つとは限らず内科に来院されても内科の疾患とは限らないからです。

名医という言葉は普通は(その道の)専門医につけられる言葉です。

私は、良医(親切で見立てのいい医者)を目指しています。

 

 

1. 今までの経歴と自己紹介•••

医師になって45年、大学在局時代を含めた15年間の勤務医を経て開業して先ほど述べたようにちょうど30年になります。

私で3代目、医師になってくれた子供の代で4代目です。

したがって医師になったのは自然の流れでした。

 

私自身は、父が開業医という家庭環境の中で愛知県の隣県で中学校まで過ごしました。

高校は愛知県内の高校に進みました。

田舎から出て来て下宿生活となったのですが名古屋という大都会にいきなり圧倒されました。

 

 

その後、一年間東京の空気を吸った後で、(第一志望ではない)横浜の大学に進みました。

なんとか引っかかったといったほうがいいのかしれません。

当時はともかく、今や首都圏にある数少ない国公立大学医学部ということで難関となっているようです。

 

入学して初めてわかったことは、ほとんどすべてのクラスメートが志望大学を「落ちた」連中でした。

そして、その傷には触れないことが暗黙のルールでした。

若い方には分からないかもしれませんが、当時は共通一次試験もセンター試験も共通テストもありません。

そのかわり、前期、中期、後期と3回の受験チャンスがありました。

当時は医学部で中期の試験は極めて少なく、全国医学部を目指す受験生は横浜の大学に殺到しました。

当時の倍率は40倍前後でした。

合格しても、それほど嬉しくもなく「なんとか引っかかった」という安堵感だけでした。

今から考えてみればベビーブームの頂点であり、医学部は私立も含め、現在の半分以下の40校だったので激戦は当然でした。

余談になりますが、当時の国公立の授業料は年間1万2000円、6年間で7万2000円でした。

入学金も1万円以下でした。

従って、約8万円で医者になれた時代でした。

(横浜市には足を向けて寝れません)

 

さて、田舎出身の自分としては、計らずも東京と横浜で7年間生活できたことは、大都会に対して物怖じしない自信がつき、多くの貴重な体験もしました。

まさに「人間万事が塞翁が馬」です。

(中には「若気の至り」というべき苦い体験もしましたが、これは内緒です)

 

 

 

卒業後は名古屋に戻って医者としての第一歩を歩みはじめました。 

在局時代、勤務医時代のことについては割愛します。

 

15年間いろいろな臨床経験を経験後、名東区で開業しました。

区内の医師会には、誰一人同じ出身大学の先生はいませんが、同じ出身高校の同級生や先輩、そして勤務医時代に一緒だった先生がいることがわかり心強く思っています。

 

現在はというと、元来田舎出身ですので名古屋という都会生活ができることには大変満足しています。

クラシックコンサートやジャズライブそして観劇、美術館巡り、デパートでの買い物などいつでも刺激的な経験が出来るからです。もちろん、日々の診療も実に刺激的ではありますが•••。

 

50年ぐらい前に親が確保してくれた土地で開業したのですが、長男の身でありながら親の跡も継がず当地で開業させてくれた両親には感謝してもしきれません。

きっと親は寂しい思いをしたこととは思うのですが口には出しませんでした。

まさに初心忘るべからずです。

 

趣味は絵画や音楽の鑑賞です。

自宅には全部で10台のスピーカーがあります。

また趣味と言っていいかどうかわかりませんが、数多くのブログやツイッターをやっていますので、今後も他の先生方や患者さんに役立つような記事を書き連ねていきたいと思います。

大袈裟かも知れませんが、これが私に残された人生でのライフワークかも知れないと思っています。

 

 

2. 開業してから現在まで•••

開業当初は小児科と間違えられるほどお子さんが来院されました。

勤務医の時にはあまりお目にかからなかった病気を初めて診察しながら随分勉強しました。

そのうち、それぞれの病気の特徴が分かるようになって小児科領域にも一定の自信がつきました。最近では近隣に小児科が増えてお子さんの受診は少なくなりましたが、開業当初の経験が今でも役立っています。

最近は患者層も高齢化して、杖をついて来院される高齢者も増えました。

診察室には「杖立て」まで置くようになりました。

いずれにしろ、患者さんからは様々な貴重な症例を経験させていただきました。

それが現在の診療の礎(いしずえ)になっており今では宝物でもあります。

 

医療は不確実性の上に成り立っています。

人間に限らず生物すべてには「死」という現実があります。

医師に謙虚さを求められるのもそのためだと思っています。

医療には自ずから限界があるのです。

 

病気は自然にも治ることが多い。

そういった病気と治療が必要な病気をきちんと区別が出来ればと思います。

かつてのフランスの外科医(16世紀、アンブロワーズ・パレ)の有名な言葉に「ときには治せるし、しばしば救うことが出来る。しかし癒すことは常にできる」というのがあります。

 

 我包帯す、神、癒し賜う (Je le pansai, Dieu le guérit.)

 

臨床医は、こういった謙虚さを忘れないことが大切だと思っています。

心のケアが一番大切かも知れませんが、最近印象深い記事に巡り会いました。

これはある大学の脳外科教授が書かれた記事です。

「『先生は最高の医療ってどういうことだと思いますか?』私がまだ若手の頃、脳腫瘍のお子さんを持つお父さんにこんな質問をされたことがあります。当時の私は、その答えを持っていませんでした。すると、その方は『たとえ治らなくても、この病院で、この先生に治療を受けてよかったと思える医療だと思います』とご自身の考えを教えてくれたのです」

教授はこう結びます。

「医療で一番大切なことは、病気を治すことですが、それと同等に大切なことは患者さんが納得できることです。患者さんやご家族と丁寧に接し、よく話をして、最終的に『この医療機関で治療を受けてよかった』と感じていただける医療を提供していきたい」

このことを本当に実践されるのであれば、まさしく名医であり良医といえます。

 

たとえ軽い症状でも見落としてはいけない症例を見つけるのが開業医の務めと考えます。

例えば、溶連菌感染症を単なる風邪と診断してしまえば、その患者さんは将来慢性腎炎や弁膜症になってつらい一生を過ごす可能性もあります。

マイコプラズマ感染症も見逃せば職場や学校などで病気が蔓延してしまいます。

 

 

長い間開業医をしていると、ごく初期の多発性骨髄腫を貧血や血中蛋白の経過から病院に紹介して「よく見つけましたね」などとお褒めの言葉をいただくようなホームランも時々は経験します。

しかし、医療は不確定な要素があまりにも多いのです。

「苦いカルテ」も山ほど経験しましたが、その経験を今後の診療に生かすことが出来る医者であるかがどうかが大事だと思っています。

 

また印象に残る症例は記録するようにしています。

自分への戒めにしたり勉強の教材としてですが、日々の診療に追われて実際には振り返って見る機会がほとんどないのが実情です。

 

長い間診療を続けていくうちに反省点もいろいろ出てきました。

 

例えば診察室に入って見えた患者さんとは目を合わせてから診察を始める。

これは忙しい時には意外と難しい。

最初に目を合わせないと、どのタイミングで合わせていいのか戸惑ってしまう。

当院では今でも電子カルテではなく紙カルテにこだわったのは患者さんが医師の背中を見ながら診察を受けることに抵抗があったからです。

これも初心忘るべからずです。

 

そしてきちんと診察すること。

私も含めてのことですが聴診や触診(理学的所見)をしっかり行う医師が減っています。

循環器専門医が他の医療機関で同じ患者さんの心雑音を指摘されたりするのは実に恥ずかしいことです。

 

当院では積極的に病診連携病院へ検査や診断•治療の紹介を行っています。

病院からの返書を見ればその病院の実力や個々の医師の能力が判断出来ます。

例えば、重症な患者さんを紹介しても退院後しばらくしてから主治医の返書が届くような病院は失格です。

逆に、重症患者を救急搬送して病院で適確な処置をしていただいて、返書もその日に届く場合には医師の連係プレーがうまくいったという喜びを味わうことが出来ます。

患者さんには信じられないことかも知れませんが、医師は他の医師と連携して救命出来た瞬間に「医師という職業についていてよかった」という醍醐味を味わうのです。

いわゆる医師同士の共感です。

 

世間ではなんだかんだと言われますが、職業としての医師は天職と思っています。

もし生まれ変わっても私には他の職業は思いつきません。

もちろん生まれ変われることもありませんが。

 

幸い子ども二人が循環器内科の勤務医として医師の道を歩んでくれています。

そして消化器内科医の親族も出来ました。

若い勤務医は概して皆優秀で、紹介した際の返書も実に適確に書かれていて感心します。

耳学問ではありますが、彼らからは実に数多くの最新知識を得ています。

 

しかし、一番の「先生」は患者さんです。

医者の間では「患者さんのいうことに耳を傾けろ、彼らが診断を教えてくれる」というウイリアム•オスラー先生の言葉が有名です。

 

“Listen to the patient, he is telling you the diagnosis.”

 

私も患者さんの話をしっかり聴くことが何より大切だと思っています。

診察室から出ようとする患者を(まるで「刑事コロンボ」のように)呼び止めて「最後に一つだけ•••」と訊くことがあります。

要するに患者さんの話を「聴き」、聴いた内容を吟味して患者さんに「訊く」ことが大切と思っています。

私の診察室の前と中の壁には「傾聴と対話」、診察机には「なにか聞き忘れたことはありませんか」というメッセージがあります。

ちょっと気障な内容と思われるのか、患者さんには時々揶揄(からか)われます。

 

 

3. 当院の患者層•••

当院にかかられているのは、主として虚血性心疾患、高血圧、脂質異常症、糖尿病や高尿酸血症などの生活習慣病、そして小児も含めた風邪などの患者さんです。

「渡辺内科」という院名ではありますが、ファミリークリニックとして小児科や全ての標榜科目にも力を注いでいるつもりです。

現在、高齢者を支えて下さっている働き盛りの方や、これから支える側になる小児科領域のお子さんに健康でいていただくことは,間接的ではありますが高齢者対策の一助になるという考え方をもっています。

当院の診療エリアでは、ご主人が一流企業勤務の転勤族と戸建てに住む知識階級の患者さんが主体です。

また、近くには県立芸大があり芸術家やそのタマゴが来院される場合があります

知識欲(好奇心)の強い私は、本来の診療を蔑(ないがし)ろにして、つい話し込んでしまうこともあり本人はもちろんスタッフにも迷惑をかけています。

これらの方は実に多くのことを教えて下さいます。

それも現在の自分の宝物になっています。

戸建てに住まわれる方も高齢化して、最近では独居高齢者も増えて来ました。

 

4. 当院の特徴•••

特徴① 週2回の予約診療と日曜診療と

何かを決めるということは何かを捨てるということでもあります。

「取捨選択」という言葉もあります。

国の方針でもありますが医療の流れは高齢者を対象とした在宅医療が普及して来ました。

私自身はというと、外来診療に全力集中すること以外に、さらに老骨に鞭を打って24時間精神的にも拘束される在宅医療はとても無理だと考えて来ました。

数年前に、仕事を休まないと病院や診療所の診察を受けれない人達、つまり現在高齢者を支えてくれている年代の方々が医療難民化していることに気づいたのです。

日曜日に診療すれば、そういった方々のお役に立てるのではないかと「在宅医療」を捨てて「休日診療」を選択しました。

中途半端な在宅医療をするぐらいなら在宅専門のドクターにお任せした方が患者さんや家族に満足してもらえると考えたのです。

もちろん、日曜日診療は協力してくれるスタッフがいないと出来ないことなのでスタッフには感謝しています。

 

実際に日曜診療を実行してみて気づいたことがあります。

それは結構遠方から来院されるも多く、意外とニーズがあるということです。

そのこととは別に、土曜日の翌日も診察や(抗生剤や脱水の治療ための)点滴が必要な方を連続性をもって診療できること、(これは細かいことですが)土曜日に装着したホルター心電図を日曜日に取り外すことが出来るようにもなりました。

日曜診療でわかったことは「病気は連続性であり、そして休みなどない」という当たり前のことです。

最近になって「働き方改革」が病院にも及んで土曜日の外来診療を中止するように勧告される病院まで出て来ました。

ますます働いている方の医療環境は悪化しているのです。

 

予約診療の利点は

①待ち時間がほとんどない。

②待合室での風邪などの感染症の患者さんとの接触を避けることが出来る。

③ゆったりと診察を受けることができる。

④病状やセカンドオピニオンなどについてゆっくり説明を聞きたい場合には長目の予約がとれる

 (たとえば15分~20分など)

⑤駐車場が満車になっている心配がない。

 

当日の午前中にも電話での受付が可能ですので是非ご利用ください。

 

特徴 ②  最善の外来と最新の検査を目指して他の医療機関への積極的紹介

診断は正確に」をモットーとしているため、CTやMRIなどの検査は高性能な機器を揃え放射線科読影医の診断レポートがいただける大病院に紹介しています。

また、超音波エコー検査においても詳細な所見のチェックが必要なケースは、月一度エクスパートの方に検査お願いしています。

狭心症などの心臓の病気も今までは入院が必要な冠動脈造影が主体ですが最近では日帰りで行える冠動脈CTという検査があります。

当院でも積極的に紹介しています。

 

特徴 ③ 電子メディアの活用

ここ10年ブログにはまっています。

毎朝5時に起床して、循環器内科や内科一般のブログ、ツイッターやHPの更新を続けています。

このことは自己研鑽にもなりますが、少しは他の医師や患者さんに役立つことができるのではないかという思いがあります。

いつまで続くかは分かりませが、出来るだけ続けてみたいと思います。

その他に、1週間のツイッターの内容の一部を「渡辺内科通信」と題した印刷物にして患者さんに手渡ししています。

たまに「毎回楽しみにしていますよ」と声を掛けられると嬉しいものです。

この試みは、患者さんへの啓蒙という意味もありますが、単調な毎回の診察の中にも変化を持たせたいという意図もあります。

これは電子メディアではありませんが、健康番組の録画を個人の病気に合わせて見ていただいたり診察机のパソコンを使って病気の説明をすることがあります。

よくある医事用レセコンとしてではなく、患者さんへの説明用として机上のパソコンを活用しています。

 

特徴 ④ 広告がありません

近所の人が初診で来院して、「長い間住んでいるのにこんな近くに診療所があるなんて知りませんでした」と言われることがよくあります。

バス通りから1本奥まった場所で一切の看板なし。

鮨屋だって広告なしでやっていけています。

隠れ家的な名店を目指しているわけでもないのですが、広告や看板はなにか物欲しげでもあり街の美化にも反する気がしてしまうのです。

もちろん患者さんには来院していただきたいのですが•••。

 

特徴 ⑤ 院内処方と先発医薬品

鮨屋で思い出したのですが、内科医もネタが勝負と思っています。

適確な診断が重要であることはもちろんのことですが、どの薬剤を処方し投与量や服薬回数や服薬のタイミングをどうするか。

その際には先発品という良質な薬剤を安心して患者さんに服用していただくことです。

最近のことですが、有名な降圧剤のジェネリック(原料の原産国は中国)に発がん物質が含まれていたというニュースが小さく流れました。

ジェネリックを推進している厚労省としては「不都合な事実」です。

当院は出来るだけ先発品の薬剤を処方するようにしていますが、最近になって価格のみジェネリックなみで内容は先発品と全く同等(原材料、製造過程)という夢のような薬剤が出現しています。

 

 

5. 最後に•••

「医者は、自分が患者になって初めて患者さんの気持ちがわかるようになる」これは言い古された言葉ではありますが、自分で体験してみると実感することが出来ます。

実は最近、両眼の白内障の手術を経験しました。

この歳になって初めて患者体験をしたのです。

手術をしていただいた眼科医は,土曜日の午後も診察を行っていて当方の診療も休診しないまま行えました。

午後からの日帰り手術も有り難かったのですが、何よりも手術中の「今のところ順調に言っていますよ」の一言が嬉しかったのです。

スタッフの、きびきびした対応も勉強になりました。

 

「病気がちの医者は病人の気持ちを本当にわかってくれる」•••

今回の体験で少し良医に近づけたかも知れません。

 

        執筆  渡辺内科 院長 渡辺穎介  2018.  7.20

                                                              2024.10.24  一部加筆