2017.6.3
<ピアノは「手織り機」>
“ The piano keys are black and white,but they sound like a million colors in your mind ”(黒鍵と白鍵から実に鮮やかな無限の色彩を持つ織物が紡ぎ出される)
<川端康成が京都祇園で遊んだ時の有名なエピソード>
「座敷に舞妓たちを並べて、何をするかと思えば、一人一人順番に面と向かい合い、あの爬虫類的な眼差しでその姿を凝視していたのだそうだ。中には緊張に堪えかねて泣き出す舞妓もいたと聞く」(島村雅彦)
<敬語・敬称が増殖中>
最近、週刊誌のエッセイや新聞の読者欄で丁寧語の乱用を憂う記事を見つけた。誰かが過剰な丁寧語を使うと、それに習わないと失礼に当るということで拡散していくらしい。昔は「患者」で済んだのが「患者さん」と言わなければならなくなった。今更「患者」という勇気もない。
<今日は終日軟禁状態>
せっかくの日曜というのに朝10時から夕方5時まで「日医かかりつけ医機能研修制度平成29年度応用研修会」に出席。日本医師会主催だったが開業医もこうしたお勉強もしているんです。
<公園のベンチで昼食>
研修会も昼の1時間だけは昼食休憩。素晴らしい天気だったので外へ出て公園の大きなケヤキ
の木の木陰で休憩。そういえば名古屋市内の街中の公園の彼方此方に見かけたホームレスもすっかり見かけなくなった。どうしてだろう?
<住みよい街・名古屋>
名古屋市内といっても数10メートルで長久手市といったところに住んでいる身として街中に出かけるとちょっと圧倒される。少なくとも市の中心周辺は素晴らしく綺麗で(全国的に馬鹿にされようが)、街に出る度につくづくいい街だと思う。
<名古屋>
50年以上前、親元を離れて市内の高校に通学するため下宿生活をした。これがあったから隣県の田舎出身でも名古屋という都会に物怖じしなくなった。その後の6年の大学生活は横浜だったが、卒業後は名古屋にUターン。道が変わらないから街も意外と変わらない。何か感慨深いものがある。
<びっくらこいた>
きょうの研修会ではトイレ休憩の時間が少しあった。出席者は全員ドクターのはずだったが喫煙ルームが結構賑わっていたことに驚いた。今どきタバコを吸う医療関係者がいることに対してだが、ナースの喫煙率はもっと高いらしい。
<その機会がなかなか>
「士の世に処るは、錐の嚢中に処るが若し」(『十八史略』春秋戦国 趙)
優れた人物とは鋭い錐のようなもの。錐を袋に入れれば穂先が突き出すように、機会を得ればたちどころにその才能を発揮する。
「田舎の学問より京の昼寝」といわれるように何かと都会の方が。
<例の冷たいの> 英語のスラングでビールのことをcold oneという(らしい)。あちらのビールはそれほど冷たくないのに何故だろう。日本で「冷たいの」っていったらいろんな飲み物が出てきそう。
<何も起きず、淡々と過ぎる日常こそ、幸せの本質である>
人間は弱いもので、非日常に遭遇して初めて日常の有り難さに気づく。大切なものは目に見えない。大切なものはそこにある。
<国内市販用タイヤの6月からの値上げ>
「卵とタイヤは値段が上がらない神話崩壊」・・・卵はとっくに値上げされている。一体日本はインフレかデフレかどっちなの?
<きっと嫌がられたろうな>
20代の女性が咳で来院。「咳き込んでしまってオエッと吐きそうになって嗚咽(おえつ)してしまうんです」私「咳で泣いてしまうんですね」女性「?」。帰りがけに嗚咽の意味が書かれたサイトのコピーを渡してあげた。
<「トランクをお忘れの方はいらっしゃいませんか?」>
先日の日本医師会主催の研修会でのこと。こんな場内アナウンスがあった。ホテルから研修会場までタクシーで乗り付けたドクターが、トランクにトランク(ケース)を置いたまま降りたらしい。運転手が届けたのだが、その後どうなったのかな?
<「まともな人」>
世間でよく使われるこの言葉。定義はどうなっているんだろうとつい思ってしまう。この言葉を使う人はもちろん自分は「まとも」と思っているに違いない。
<小耳にはさんだ美談>
ある大病院に意識消失から生還した若い男性が救急搬送されて来た。会議中に突然意識をなくし、周囲の同僚がAEDで救命したのだが、日頃のトレーニングもしっかりされていたという。来院時には本人は何事もなかったように喋っていたとのこと。
<やはりAEDは必要?>
恥ずかしながら当院にはAEDが設置されていない。今まで必要性を感じることがなかったし、バッテリーの定期交換などの維持費が結構かかることがその理由。しかし、自分自身が突然倒れた場合のことまでは今まで考えてはいなかった。
<ブタは汗っかき?>
英語で「 大汗をかいた」ということを "I sweated like a pig “というらしい。